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どっぷりarashiな戯言とか
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今年の国立、少なくとも土日公演分は不参加が決定しました(涙)。
どうしても抜けられない業務イベント開催日と日程が丸被りしました……。
 
Dさいが「これ、ゲストに嵐呼んでよー、○ウスに売りに行くからさー」とのたまったら、
彼らはその日国立でコンサートなので呼べませんとお答えできますけどね。
 
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4月から新しい上司が2人来たので、1日は朝イチ電通集合で局長以下ずらっと大名行列で挨拶回り。
電通終わって会社出たら、携帯に連絡が。
「某社の電話が繋がらない」。

期を越えられないのではないかと噂されていた代理店ですから、そりゃ焦るよ。
担当していた部員は4月1日付で他部署に異動になっているのだが、
取り急ぎ情報収集を指示。
新担当には会社に行かせて玄関に貼り紙あったら写真撮ってくるよう指示。
3件挨拶回りを終えた11時過ぎに2人から前後して連絡があり、
破産申請を行う旨、玄関には紙が貼ってあったと。

ついに来たか…。
業績悪化の折に昨年社長が急逝して会社を畳むのではないかと危惧されていたけど。

会社に戻って経理で売掛金の残高を調べたら、2月分の入金は早々と終わっていた。
3月分については請求書もまだ出てないので、もちろ未入金。
口座に保証金を積んでいても、管財人の管理下に入るので、
ウチの売掛金なんて先方の負債額に占める割合など微々たるものだろうから、
戻ってくる金額はチャリ銭が通例。
3月分はしょうがないかと思っていたら…。

先方の弁護士によれば保証金に質権設定してあって、担保として有効なので全額弁済できるとのこと。
さらに、社員4人は他の代理店が受け皿になって就職するという情報も入り、
4月分の申し込み案件の処理や今後の扱いも、昨日までに整理が付いた。

昨年は長いお付き合いの会社が複数無くなり、広告業界は危機的状況が続いています。
特に今回は予想していたものの、寂しさを拭えません。
4月早々からこんなスタートで。
まぁでもね。
4月から体制一新で、部員の入れ替えもあり、もう少し効率よく仕事を回していけるようになるといいな。

この一連の処理の中、午後から30分刻みで丸亀、桐生、小松島、大村の来社があった(笑)。
そんないっぺんに重なって来なくても。
競輪は相変わらず全然わかんないけど、競艇はだいぶ分かるようになってきたので、
今年はぜひとも回収させて欲しいもんです。

社会復帰1週目。
見事な残業続きでした…。
 
「出てきてから聞こうと思って」という案件がテンコ盛り。
3月第1週目時点で締切まで10日間ある案件を、言われた人々が揃いも揃って、
来週から私が出てくる、じゃあそれからでいっか、という判断で1週間寝かせてまして。
すると、出勤した途端、締切まで3日もない案件だらけ(大笑)。
処理に追われて、木曜日まで馬車馬でした。
 
月曜午後に話聞いて火曜午前提出かよ!!みたいな話まであったからなー。
まさか来期の新担当や営業各個人予算の割り振りまで手付かずなんて、予想もしてなかった。
23日の術後検査を待たず、1週間前倒しで復帰してる事など一切配慮なし。
もっと穏やかに復帰したかった……。
 
のっけから働かせてくれます。
 
「○○の事なんだけどさぁ」と3月1週目にウチの部から依頼書が出た案件を
当たり前のように聞いてくる人々にも苦笑い。
まるで、2月も3月もずーっと休まず出勤してたみたいな聞きようだな。
私の残像でも見えてたのか?
書類作成者本人か、書類回したブチョーに聞くというアタマはないらしい。
 
もちろん、顔見るなり「大丈夫なんですか!」「手術したってホントですか」と聞く人達も多々いましたが。
どういう伝え方されてるのか、「なんとなく聞いちゃいけないコト」みたいな
ナーバスな聞かれ方されるので面食らう。
会社には正確な病名や手術内容を病院の診断書で出してるし、部員には部会で説明したんだけどなぁ。
とりあえず、なんの手術か聞かれたら「お腹に穴4つ開いてんの。あと3つ開けたらケンシロウだから」って答えてますが。
 
 
そんなわけで、ボチボチやるつもりがいきなりフルスロットル。
入院→休養中にせっせと美肌に励んだ成果で、数十年ぶり(…)に、手の平に吸いつくモチモチのお肌を実感してたのに、
わずか1週間で顎に吹き出物がでる始末…。
ちょっとはダイエットもできてたはずなのに、帰宅後の晩ゴハンで一気にリバウンドしそうです。
それと、休んでいる間の私のルーティンワークはお願いしてたはずだけど、フタを開けたらほぼ手つかずのまま。
各種諸々の掲載予定表を3月中旬分までは作って託したんだが、3月下旬以降真っ白のまま。
4月分の各種予定表の1回目の出しを含めて、火曜日に一気に作る羽目に。
金曜は山積みの案件が一段落してちょっと楽かと思ったら、夕方からトラブル発生。
お休み続行中。
 
23日の診察が終わってから仕事復帰がベストだけど、
体調さえ問題なければ早めに出ていいって事なので、来週から出社予定です。
ここ数日は頻繁に部員や部長から電話がかかってきて、あれやこれやの遠隔操作。
そんなわけで、部員の人事考課票を自宅で作成します。
 
 
さて。入院生活ですが。
実に快適かつ楽しく過ごしちゃいました。
看護師さんって、なんて親切で優しい人達なんだ…と感心しきり。
そりゃ彼女達の仕事なんだろうけど、最後まで細かくフォローしてもらって本当に有難かった。
 
術前検査のため12日(金)から入院。
週明け月曜午前に手術を行うため、術前検査を金曜日に実施。
なので手術3日前から入院になっているだけです。
 
午前9時過ぎに荷物をキャリーとエコバッグに詰めて、タクで病院へ。
付き添いはいないので、荷物は自分で運ぶ。これが結構大変。
家からタク1メーターで行ける近い病院にしといて良かった。
 
荷物はパジャマ用のスリーパー・下着3セット・タオル3・バスタオル3・ロングカーディガン・スリッパ・術後出血用の生理用品(これが相当かさばる)・小さめのフォーク・スプーン・お箸・マグカップ・歯ブラシ・歯磨き用コップ・歯磨き・化粧水・パック用化粧水・乳液・美容液(目標は入院de美肌!)・ノート・筆記用具・入院の際の書類諸々・ポータブルDVD・大量のDVD(笑)・文庫本1冊(「ジョバンニの部屋」…病室で読む本かはさておき)・携帯用の読書灯・テンピュールのトラベルピロー・ここ1年ほど腰痛対策で使っているツボ押し器・紅茶のティーバッグ・ドリップコーヒー少し。
そこはかとなく、遊びにいくんかい!なラインナップですな(笑)。
 
1階の入院受付で手続きを済ませ、迎えに降りてきた看護師さんと一緒に6階東病棟へ。
まずは6階ナースステーション横で身長と体重を計り、荷物を病室に置いてから病棟案内。
病室は通常の4人部屋で、私のベッドは奥の窓側でした。
廊下に近いベッドより奥の方が落ち着くので有難い。外の景色も見えるし。
 
さらに、病室はトイレと洗面所が比較的近く、といっても目の前でもなく、ベストなポジション。
もっと奥の部屋だとトイレまで距離があるので、夜中にトイレ行くの面倒だったと思う。
逆に洗面所の目の前だと、人の気配や音が気になるだろうし。
そして、シャワールームが目の前で、これまた便利でした。
 
続いて、別室で看護師さんのヒアリング&入院スケジュールの確認。
終わったら事務方で高額医療費の認定証や保険書類関連を提出。
部屋に戻って荷物の整理を終えて、同室の方にご挨拶して、あとはベッドに座って術前説明待ち。
午後3時頃、看護師さんに呼ばれて、診察室でエコーと触診の後、別室にてようやく説明です。
 
病名や手術方法、麻酔や輸血時のリスクなど、書類に沿って順番に話がありました。
まず私の場合、事前検査で不整脈が出て、再検査の心エコーを受ける羽目になってしまい、この結果が出るのが入院当日だったわけですが、問題無しってことで一安心。
 
今回の腹腔鏡手術は、おなかに炭酸ガスを入れて膨らませて行う手法。
それによるリスクもこんこんと。
輸血のリスクとか、聞いてるとちょっと怖いけどね。
 
手術内容については、両方の卵巣周囲の癒着を剥がしながら手術を行う、筋腫はMRIで分かっている3つは取る、
もっと見つかれば出来る限り取る、線筋症は腹腔鏡では無理なので手を付けない、状態によっては右側の卵巣は全摘の可能性がある、さらに開腹手術に途中で切り替える場合があることなど。
中でも腸への癒着があるので腸壁に傷を付けるリスクを伴うため、その場合は入院期間が延びる可能性も説明があった。
さらに、手術中~術後は心電図、脳波計、両足に血栓防止のマッサージ器、点滴、導尿、血圧計、酸素マスク等を付けて、身体中に管ついてますって話や、術後の治療についても。
 
月曜日は朝9時から手術開始で約3時間の予定、意識が戻るのは夕方頃かな~とか。
手術に関する説明がほぼ終わってから雑談タイム。
質問にも丁寧に答えてもらいました。
元々通っていた病院の話になったら、そっちで長年診てもらっている女医さんの事をよくご存じだそうで。
「○○先生でしょ?知ってるよー」みたいな。
 
この日のエコーの結果、9月20日からディナゲスト、10月20日からリュープリン注射を続けていた成果が出ていて、右の卵巣は7・5センチ→5・5センチ、左は6センチ→5センチ、一番大きい筋腫7センチ→5センチになってました。
顕著な薬効が見られるので、ガチガチになっている癒着が緩んで、少しは手術が楽なんじゃないかな~という期待も。
ホットフラッシュと肩凝りを我慢して、リュープリンやってきた甲斐があって良かった。
 
ゆっくり40分くらいは話してたかなぁ。
「土日に風邪ひかないでね!じゃあ頑張りましょうね!」と激励?されて終了。
この後、外泊許可が下りて日曜朝まで一旦自宅へ。
 
 
14日(日)のお昼に病院へ。
同室で挨拶した人のうち2人は週末に退院していて、新しい人が1人入っていた。
改めてご挨拶したら、同じく月曜朝に手術なんだとか。
「頑張りましょうね!」とお互い激励。
 
まもなく処置室に呼ばれて、剃毛&オリーブオイルでヘソのお掃除。
自分でもちょっとやっていったけど、どこまで剃っていいかワカンナイ。
看護師さんは「先生はねーツルツルにしろって言うけど、そんなにツルツルにはなんないのよねー」とボヤきながらも、「うーん、いい感じ♪これならオッケーもらえそうー」って(笑)。
この看護師さんも、面白くて親切な人で印象に残ってる。
 
部屋に戻って右手首に識別番号付きのバンドを巻き、翌朝行う処置の説明を受け、看護師さんと一緒に手術着・紙パンツ・腹帯・バスタオルを準備。
明日付き添いの方は何人来られますか?と聞かれたので、「いません」と答えたら、少々驚かれた。
そっか。手術に誰も来ないのは珍しいのかと、ここで初めて気付きました。
その後、婦長さんもベッドまで挨拶に来られました。
 
一段落してテレビをつけたら、上村愛子が4位でした。
ちなみに、テレビはカードで1000分1000円。
あとはシャワー浴びて、晩ゴハン食べて寝るだけ。
ゴハンは意外と味付けがしっかりしてて、普通に美味しく頂きました。
 
さきほどの同室の方が「緊張して眠れそうにない」とおっしゃってましたが、私は何の緊張感もなく(笑)。
普通にサッカー日本代表戦を観たりしてました。
消灯前に来た看護師さんが付けてたテレビの画面見て、
「あ。サッカー!韓国戦、どうなってます~?」「酷い試合ですわコレ。闘李男が一発退場で」
「退場?負けそう?」などとのんきな会話をしてました。
 
で、持ってきた睡眠薬と下剤を目の前で服用し、夜10時以降は絶食絶飲。
このままカバチ観ようかと思ったけど、手術前なのでテレビを消して大人しく就寝しました。
てか、眠剤がよく効いて、すぐ眠くなっちゃったよ…。
 
ここまでは持参したノートにあれこれメモしてましたが、この後は17日まで全くノートに記入する気力はなかったのでした…。
さて、15日(月)。
朝6時に担当の看護師さんがベッドへ。
よく眠れましたか?って、そりゃもうグッスリと。
で、腸の中のモノを出すためベッドで浣腸。
5分我慢しろって言われたけど、そんなの無理ーーーっ。
浣腸後ダッシュでトイレに駆け込み、かろうじてトイレで2分我慢したけどギブ!漏れる!
結局、1回では飽き足らず?この後3回もトイレに走ることに。
 
午前8時半頃、ベッド脇にセットしてあった手術着に着替え、紙パンツを履いて準備万端。
「ちょっと早いけど行きましょうか」とお迎えの看護師さんが45分に来たので、テクテク歩いて手術室へ。
ベッドごとガラガラ押されて行ったりはしないのね。残念。
エレベーターで手術フロアに降りると手術ルームがいくつかあり、左奥側の部屋へ。
眼鏡外したら視力0.06程度なので、手術室の様子がよくわからなかった。これまた残念。
 
ベッドに仰向けに寝たら、5人がかりくらい?で一斉に「心電図つけます」「脳波計つけます」「足にマッサージ器巻きますねー」と
ものすごい勢いで次々と身体にセットされました。
左腕に点滴入れるので腕をバシバシ叩いて血管探すけど、なかなか太い血管が出なくてね。
右手にかえたり左手もう一回叩いたりで、ちょっと時間かかりました。
結局左腕から点滴、右手の甲から麻酔を入れることに。
麻酔が入っていく瞬間って痛いのね。
今回、これが一番痛かったかもしれない。
じわーーっと痛みが甲から手首、腕へと広がっていくので、「いたー」と呟くと、
スタッフがせっせと手首辺りをマッサージしてくれます。
そして麻酔のマスクが付けられ、「ゆっくり息吸ってください。はい、吐いてー吸ってーー」。
 
はい。
ここから先は、全く記憶にありません。
ぼんやり気づいたら病室でした。
でも、目が悪いから何時なのかさっぱり全くわからない。
 
何度か看護師さんに声を掛けられて答えようとしても、喉が枯れて詰まったような感じで声がちゃんと出ない。
ろくに喋れず、「あーはい」とか「ええ」とか曖昧な言葉しか言えませんでした。
酸素マスク付けてるから喋りにくいとはいえ、これほどとは予想外。
「点滴もう1本あります」「こっちの点滴は痛み止めですよ」(右手甲から2つの点滴を入れてた)とか、
点滴が落ちる速度を何度か調整したり、手の甲を擦ってもらったり、断片的な記憶はあるけど、
明確な意識で会話をするような状態には程遠かった。
夕方には意識が戻るどころか、声掛けられた時に一時的に起きる以外はずーっと夢の中にいました。
 
そして、ふと誰かがカーテンを開けて入ってきて、ベッド横の冷蔵庫に何かを入れている気配がして
不審に思って目を開けたら、明らかに黒っぽい人影が。
看護師さんは黒い服は着ないよね。えっ、誰!!
と驚いても視力悪くて誰だか分からないので、朦朧としながら「誰?」と聞いたら「あ。起きた」。
えええ、Nちゃん!
会社終わって病院に様子を見に来てくれたんだそう。
 
今回実家の親には言わず手術を行うため、緊急時の連絡先はNちゃんにお願いしてました。
術前の説明に同席しようか、麻酔から起きた時に横にいようか?と色々心配してくれて。
本当に当日夜に来てくれるとは。
ありがたくて涙出ます
 
Nちゃんは、私が点滴や脳波計に酸素マスクまで付いていて、重篤に見えたらしくビックリしていた。
冷蔵庫に入れてたのは、コラーゲン入りヨーグルト(笑)、マンゴージュースにプリン。
さらにバナナとみかんも棚に置かれていた←これは翌朝看護師さんに教えられて気付いた。
 
会話をしてたら少し頭がハッキリしました。
欲しいものを聞かれたので「ボディクリーム」をリクエスト(笑)。
ただ、20分ほど話していたらまた眠くなってくるもんで、麻酔って長時間続くんだなぁ。
手術後に摘出したものを見せてもらいたかったけど、それを頼める状態では全くなかったな。
Nちゃんが来た夜7時過ぎまで、ほぼ寝てたようなモンだから。
 
ほどなくしてNちゃんが帰り、夜9時過ぎに看護師さんが酸素マスクを外しに来た。
それからどれほど時間が経ったかわからないけど、夜中に看護師さんがやってきて、
「酸素濃度が…」「酸素マスク!」と会話があり、酸素マスクを再度付けられたことは覚えている。
看護師さんが2人来た気がしたけど、後から聞いたら来たのは1人でした。
ナースコール通じてステーションと会話したそうなので、声で2人だと思っていたようです。
その看護師さんは、私の呼吸が安定するまでかなりの時間、ベッド側にいた気がします。
後日、この看護師のTさんと一番仲良くなるんですが。
 
後で聞くと、眠りが深くなった途端、急激に酸素濃度が下がっていったそうです。
婦長さんから無呼吸症候群の検査を受けるよう勧められました。
夏頃から3時間くらいで目が覚めることがよくあるから、かもな~とは思ってましたが。
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嵐ウォッチ
自己紹介:
金が貯まらないあらしマニア生活。
腰痛悪化で体力ゲージ下がり中。
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